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2011年6月14日 (火)

岩手県宮古市*三陸鉄道北リアス線走る

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宮古市は、父の故郷でもあり、これまでも数多く訪ねています。
震災後、三ヶ月を経過しましたが、ようやく、現地でその息遣いの一端を感じる機会を得ました。

以下、鍬ヶ崎地区の画像を中心に、数点掲載します。ただ、住宅地の被災画像はこの場での掲載を差し控えることにしました。
現在片付けが進み、各戸毎に残された土台と外構の間を切り分けるように走る路地には、そこに生活されていた方々の息遣いの
ある街角があったはずですが、そこにあったはずの日常と息遣いは、今回そこに立った私には想像が及びませんでした。

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宮古湾の岸壁に向かう。この、解き放たれた空間に言葉がない。
振り返れば、鍬ヶ崎小学校と熊野神社の丘が手に届くように近くに見える。

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この路上のマークは、何人かを導くことが出来ただろうか。そう、思わずにはいられない。

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新旧魚市場前の岸壁には、トロール船だろうか、外洋での操業を思わせる漁船が並んで接岸していた。
その数は僅かだが、復興の礎に見えた。岸壁前の施設群には、津波の威力を物語る爪痕が残る。

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宮古駅前から10分程度の宮古市魚菜市場では、復興市が開催されていた。
地元で上がった物も含め、店舗の品揃えもよいのではないか。これから、地の物が溢れていくことだろう。

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末広町では、宮古あきんど復興市が開催されていた。
末広町の近隣も、家屋が収去されて土台と外構の基礎だけのところもある。
シャッターの開かない店や、取り壊しを依頼する表示の家屋もある。

ともかく、前に進むことが大事。
宮古の方々の、そんな気持ちが、伝わって来るような気がした。

(追伸)
今回の、宮古行きでは、盛岡よりJR山田線を利用しました。
本数が少なく、連絡がままならぬため、国道経由の高速バスを使うことが多いのも事実ですが、タイミングが合えば、若しくはタイミングを
合わせてJR山田線を利用することをお薦めしたいと思います。
トンネルを抜け、区界峠を越え、山間部を抜け、畑の中の景色となり、鉄橋を渡り、渓流沿いを走り、宮古へ向かうコースは記憶に残ることでしょう。

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